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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

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今更ながら『The Beginner's Guide』をプレイして、創作行為について考える

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はじめに


The Beginner's Guide - Trailer

Steamのウインターセールが始まったということで、早速ながら『The Beginner's Guide』をプレイした。このゲームは、Davey Wredenという人物が中心として作っていて、過去には『The Stanley Parable』を2011年にリリースしている。その過去もあって、このゲームが気になっていたので、早速購入することにした。

この人は、プレイ中に解説を行う「語り手」を使うギミックを得意とする。例えば、『The Stanley Parable』の場合は、「語り手が語るストーリーをプレイヤーが裏切ることによって、物語が分岐する」というギミックによって、その斬新なアイデアと完成度において有名になった。

今回に関しては、若干ネタバレになってしまうのだけれど、「語り手が信用できない」という叙述トリックのような仕組みとなっている。ストーリーや、その構造に関しては読んだ限りだとAUTOMATIONの記事が一番まとまっている。

しかし、このゲームは上記の性質上、「プレイヤーを選ぶゲームである」ことは間違いない。自分なんかは、自分が抱えている問題と若干シンクロしてしまっているが故に、ひどく心を揺らぶられてしまった。一般的に、何か「モノを作っている」とか、あるいは「個人で何か開発している人」にとっては、酷く揺さぶられるところがあるかもしれないが、それに当てはまらない人、また導入のストーリーである「Coda氏のゲームを無断で公開する」というストーリーラインに嫌悪感を覚える人は、あまりお薦めしない(実際、Steam上のレビューでは、これが拒絶反応になっていることが多い)。

また、これは「ゲーム」ではなく、一種の一本道の「ヴィジュアルノベル」として見るのが正しいだろう。前回の『The Stanley Parable』みたいな破天荒さは無く、あくまでシリアスに「ある見せたいテーマを見せる」ということに特化しているように思われる(従って、実績は存在しない)。

The Beginner's Guideの「解釈の仕方」

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本来ならば、『The Beginner's Guide』はまっさらな状態でプレイすることが望ましいとは思うものの、しかしネタバレにならない程度で「解釈の仕方」というのを紹介するのが、このゲームの面白さを引き出すのには丁度いいかと思われるので、その辺りをメモしておく。

まずひとつに、Davey Wreden氏のゲームに言えることだが、基本的に「語り部を信頼してはならない」というものがある。このギミックは『The Stanley Parable』の場合であるならば、「語り部を裏切る」ことによって、ストーリーが分岐するというギミックになるし、『The Beginner's Guide』の場合であるならば、「語り部が隠していること・自分の都合のいいようにしていること」が伏線として散りばめられている。

『The Beginner's Guide』では、「Coda氏」という謎の人物の未完成で放り投げたゲーム(だいたい10種類ほどある)の解説をするのだが、しかしこの解説が何処まで正しいのかはわからない。

若干ネタバレとなってしまうのだが、語り部として現れる「Davey Wreden氏(これもメタ的で、実在する作者としてのDavey Wredenとは無関係に考えるといいだろう)」は、「Coda氏」のゲームを「プレイしやすいように改良し」「ゲームに意味深な改造を施したり」、場合によっては『The Beginner's Guide』という物語を成立させるための「辻褄合わせ」を行っている。

それを序盤においては、我々は知らない。そのために、物語を見るプレイヤー側はまず最初は解説を「信じる」しかないのだが、しかしその解釈を「信じていく」と、後半において、その解釈が実は上記の理由によって成立しているということがわかるのだ。それが解った時の関係と、語り手としての「Davey Wreden氏」とのプレイヤーの信頼は揺らぐ。ゲームを解説してくれる「Davey Wreden氏」から、一歩「人格を持ったDavey Wreden氏」というのが現れる。つまり、語り手に対して、プレイヤーはまた一歩引いた「観察者」としての視点を持つことになる。

The Beginner's Guideの「考察」

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ここからは若干ネタバレモードになるので、未プレイの人は引き返して欲しい。出来ることならば、ネタバレしない程度に解説しようと思うのだが、それが出来るかどうかは怪しい。

まず、議論として「Coda氏」とは何者なのか、という話が出てくるのだけれども、個人的な解釈としては、「作者としてのDavey Wreden氏」の裏の側面だと思っている。絵師の人が落書きをアップするように、ゲーム製作者もゴミみたいなゲームやプロトタイプを作っては捨てたりしている。つまり、単純に「ゲーム制作が好きで、それを公表するということに無頓着なタイプの人間」という側面を切り取っているのではないか、と思う。

逆に語り部としての「Davey Wreden氏」は、ゲームに対して分析をしたり、解釈したり、イジったりしているタイプの人間なのではないかと思われる。そして、承認欲求が激しいタイプの人間で、自分のゲームで賞賛を浴びたりしたいと思っている側面の人格なんだと思われる。

もちろん、「Coda氏」が実在するというのも魅力的な仮説ではあるが、しかし、そのまま「Coda氏」をゲームの題材にすると思うと、それは怪しい。実在するとしても、その人物を借りた、作者のストーリーテリングだと考えるほうが、一貫性はある気がしている。

ちなみに、このゲームは「2008年から2011年の間に起きた一連の出来事について話す」ということになっていて、「Coda氏2011年6月にゲーム制作を止める」という話が出ているのだが、ゲーム製作者としてのDavey Wreden氏は2011年の7月に『The Stanley Parable』の初期版、つまりHalf-lifeのMod verをリリースしている。実際、このゲームの実質の最終章となる「塔」というステージは2011年6月のゲームとなっているのだ。つまり、『The Stanley Parable』がリリースされた時期と一致している(ちなみに最後のセリフもこれと合わせると辻褄が合う)。

多分、作り手にとって、二つの側面というのはあると思う。一つは、端的に自分の満足するものを作って、そのまま破棄するタイプと、それを公開して賞賛を得たいという欲求。知人の絵描きが言っていたことが面白くて「ホワイトボートに絵を書くと、それが残らないから好きだ」と一時期言っていた。もしかしたら信じられないことかもしれないが、「作ったものを残したくない」という願望という側面はあって、逆に「誰かからの承認が欲しい」という、悪く言われがちな承認欲求こそが、外に出る手がかりになっているのかもしれない。

多分、この2つの人格みたいなのが共存していて、そしてポジティヴな解釈をするならば、「Coda氏」のような側面からの決別があるからこそ、『The Stanley Parable』みたいなゲームが生まれたのだと思うし、逆に言うならば、それを改めて振り返ったのが『The Beginner's Guide』なのではないか、と思っている。

まとめ

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ということで、最近プレイしたゲームについて簡単にレビューした。上の説明でピンと来ない人はまあ、プレイしなくてもいいとは思う。ただ、過去に作っていたクソみたいな創作物が一番輝いていたような気がする、と思うような人は是非プレイして欲しい。まだ、プレイとは言わなくても、いわばインタラクションが若干入っているような映像作品を求めている人にとっては、90分で楽しい経験が出来ると思う。日本語Modも存在しているので、是非これを機会にどうぞ。