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『オープン・デザイン』は、むしろプログラマが読むべき本だった

今日の十六茶

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試してガッテン方式で入れている。

はじめに

オライリー社から2013年に発売された『オープン・デザイン』という本は、率直に言ってしまえば、如何にもデザイナー向けの思弁的な議論のアンソロジーとなっている。それらは、直接的には技術的な洞察を与えるものではないだろうし、また同様に、それが直接的に業務に使えるものかといったらそうでもない。

そうではないのにも関わらず、この本は、プログラマにとって重要な本であることは間違いないと、僕は確信している。逆説的なことではあるが、この本が技術書でないからこそ、あまりにも無視され続けた本であると思うのだが、だからこそ、今読むべき本であると思う。

プログラマはデザインが下手であるという現実を直視する

もちろん、デザインという言葉は多義的な言葉であることは間違いない。まず指摘できることは、日本語の場合、デザインという言葉は「設計」という言葉ではなく、どちらかというと「グラフィック」に偏りがちである。そのような瑣末はどうでもいい。

よく言われる揶揄の一つとして、プログラマはデザインが下手であるということが良く言われる。お世辞にも、プログラマが作るようなアプリケーションには、UIが極めて粗雑なプロダクトは多くはない。それは、おそらく当人であるプログラマがそう認めるだろう。このブログも、お世辞なりとも、デザイン的に優れているとは言いがたい。

それがどうしてなのか、については、ここでは觝れないようにしよう。問題は、例えば「Twitter Bootstrap」のように、デザインがオープンにされたことにより、幾分かマシなUIというのが、プロトタイピングの段階で手にすることができるようになった。この本の中に収録されている一文について、書きうつしてみよう:

未来のデザイナーは、スキルのないユーザーでもものをデザインできるような環境を形づくる、メタデザイナーにならなければならない。ーー『デザインのリデザイン』,p041より

自分が理解する限り、ここには一つの洞察がこめられれている。未来予測というのは、いつでも扇動的でおおげさなものであるけれども、この文句は魅力的だ。少くとも、この論文が示している通り、「人間は自身の世界を自分でデザインせねばならない(p.039)」わけだけれど、しかし全ての人間が環境をデザインできるわけではない

序論では、次のような言葉が掲げられている:

現代のパイオニアはたいてい、ハッカーやアーティスト、アクティビストのような気質を持っている人々だ。彼らは、「世界」を外部から与えられたものとして額面通りに受け入れることはしない。むしろ、「世界」を、こじ開けることが可能な、いじくり回せる対象として捉えている『序論』,(p.021) より

しかし、このように「こじ開けることが可能な、いじくり回せる対象」として捉えたとしても、デザインとして、それをどのように「いじくり回すのか」ということには、技量が必要になる。それは、デザイナが如何にしてプログラマがコードをハックするのかについて、未知であるように、デザイナがプログラマにとってどのようにデザインをハックしているのかについて未知であるのと似ているのである。

ユーザーにとってのオープンデザイン

あとの言及になるのだが、この本には「はじめに」という序文が付いている。そこで、「クリエイティヴ・イノベーション」に言及しながら、それは「参加型イノベーション」ではないか、と伸べている。この言葉は多義的であるが、一つの示唆がある。

例えば、最近であるならば、「リーンUX」といったような、ユーザーの声を聞きながら、よりよいユーザー体験を提供できるように、デザインを改良していく方法が盛んとなっている。本書におさめられている『オーケストラ演奏のようなデザイン』においては、簡潔にデザイン(特にプロダクトにおいて)について語られている。それをざっくりと要約すれば、次のようになる。

まず、デザインというのは、「デザインに関する議論の最前線に「センスのよさ」というエリート主義的な見方が注がれていたわけだけれども、「特定なデザインの妥当性は、クリエイターによってではなく、ユーザーによって決定されるという事実に気付かされた」。その後、「ユーザーの意見が重要になっていき、より賢明なデザイナーはユーザー中心のデザインプロセスを広め始めた」とまとめている(p.28)。

この議論はいささか乱暴にも聞こえるが、しかし、デザインの中に、「ユーザー」という登場人物が出てきたことは、考慮すべき問題なのだと思われる。だから、本書において中心になっているのは、「ユーザー」という言葉である(例えば、『オープンデザインを生成する基盤』では、「ユーザー主導」という言葉が使われている)。そして、恐らくは、そのユーザーの中にわれわれがいるのだ。

その他のトピックス

この本では、その話題は多岐に渡っている。最近でいうならば、やはり「3Dプリンタ」の話題が多く出ている。これは、モデルとその素材を手に入れることができるならば、すぐにそのパーツは手に入れられるということに、そのオープンな可能性を示唆しているものもあるし、あるいは、やはり「オープンである」からには「ライセンス」の問題は避けられないだろう。

また、「オープンデザイン」、もしかしたら「オープンソース」にとって、いや、これから来たる「オープンX」にとっての関心事は、本書の言葉を借りるならば「知識と生産手段の再配分」『JORIS LAARMANによるオープンソースデザインの実験』(p.130)であると言えるかもしれない。だからこそ、「もし著作権を放棄したらどうなるだろう?」『ベストセラーの消失』(p.104)問いが出てくる。あるいは、知識の問題だからこそ、教育の問題も同様に出てくる。冒頭には、このような刺激的な文章が添えられている。

実際、ものを作ることと、いわゆる「科学」の領域との間には本質的な隔たりがあるという、社会における根本的な分断こそが議論すべきテーマなのかもしれない。ものを作るべきことには科学が少なすぎるし、科学のなかで何かを作ることもほとんどない。この2つはあまりに遠く、接点がないのだ。

まとめ: オープンということが空気になりつつある時代に

この本はあまりにも面白くて、書評は、書こう書こうと思って、つい先伸ばしにしていたものである。で、今回やっと書くことができた。

とはいえ、既にオープンという言葉が「空気」となり、同時に「うさんくさい」時代にとって、オープンデザインという考えかたが埋もれてしまうのはもったいないだろう。たしかに、本書はややイデオロチック、つまり堅苦しくて扇動的、言いかえればユートピア的であることも否めないが、しかし人間が何か進歩していくということは、前向きの想像力でもあるということを実感させてくれる意味でも、とてもいい本だと思う。デザイナーだけではなく、幅広い人に読んで欲しい本だ。

オープンデザイン ―参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」 (Make: Japan Books)

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  • 作者: Bas Van Abel,Lucas Evers,Roel Klaassen,Peter Troxler,田中浩也,川本大功,巾嶋良幸,古賀稔章,水野祐,岩倉悠子,菊地開司
  • 出版社/メーカー: オライリージャパン
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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参考文献

古典的なデザインの本も参考までに

ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]

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あとはリーンの奴も

Lean UX ―リーン思考によるユーザエクスペリエンス・デザイン (THE LEAN SERIES)

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  • 作者: ジェフ・ゴーセルフ,坂田一倫,ジョシュ・セイデン,エリック・リース,児島修
  • 出版社/メーカー: オライリージャパン
  • 発売日: 2014/01/22
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