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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

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「モノを作ること」について考えるベースになったものをだらっと紹介していく: 2015春

はじめに

たぶん、自分はエンジニアというよりも、何かモノを作っていたいタイプであって、趣味でも作曲とか漫画とか、小説とかを書いたりしている。

元々、子供の頃は漫画家や小説家とかになりたかった人間で、何時の間にやらエンジニアというものを見よう見まねでやっては失敗したり怒られたりしているわけだし、たいした実績があるわけでもない。ただ、自分がWebサービスとかを作るということの裏側には、そういう「そもそもモノを作るってどういうことだろうか」ということが裏側にある。そして、そのことによって迷惑をかけることが何度かある。

そういうことを念頭に置いてもらうとして、ここで紹介するのは、自分が「モノを作るということはどういうことだろう」ということを考えるときのベースになったもの達だ。これらが血肉になっているとは到底自分の中では言い難い。それは自分の能力がそれを証明している。とはいえ、自分にとって血肉にならなかったとしても、誰かにとっては、これらを血肉にして、ここから何かが生まれることだってある。そういうのを期待して紹介しようと思う。

映画『エド・ウッド』ティム・バートン

エド・ウッド [DVD]

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「モノを作るとき」に、そのモノを作ることの美談として情熱が挙げられることが多い。確かに、情熱は素晴らしいものだ。『エド・ウッド』という映画監督はまさに、映画にかける情熱はあった。泥臭く、そして時には人をだまくらかし、資金を集め、技術が無いなりに自分なりの限界で工夫し、映画を作る。その過程は決して綺麗なものではない。でも、モノを作ろうとしたときに、資金や人を集める奮闘、そして彼の葛藤を見て、胸を打たれる人もいるんじゃないんだろうか。

でも、出来あがった作品はどうだろう? 例えば、彼の実際の作品は、下のようなものがある。

プラン9・フロム・アウター・スペース 新訳版 [DVD]

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はっきり言おう。これはゴミだ。最高のゴミである。そのようにして作られたものは、とてもじゃないけれど、どうしようもない作品である。この事実は、情熱と作品の質は決して比例するものではない。それはトレーラーを見てもわかるだろう:


plan 9 from outer space (trailer) - YouTube

エド・ウッドはきっと自分の作品を最高だと思っていたにちがいない。そういうところが何処かに見える。かくいう僕もそうである。基本的に、自分の文章を読み直して「最高じゃん」と思うことはある。

でも、しかし果たして、本当にそうだろうか。自信が作っているものは、実はとんでもなく最悪なものなんじゃないんだろうか。そういう「恐れ」を抱いていない人はいないんじゃないんだろうか。誰しも、自分こそが「エド・ウッド」なんじゃないか、って思う瞬間はあると思う。というより、そういう恐怖を持たない創作者というのを、あまり僕は想像できない。

でも、それでもモノを作るということはどういうことか。そういうことを教えてくれる作品でもある。僕はスタートアップとか、Webサービスとかの話を聞くたびに、常にこの映画のことを思い出す。

『ゴダール 映画史(全)』ゴダール

ゴダール 映画史(全) (ちくま学芸文庫)

ゴダール 映画史(全) (ちくま学芸文庫)

ゴーダルといえば難解な映画を撮ることで有名な人で、いわゆる美大系の人達がドヤ顏をするためにとりあえず見て、なんかよくわからないみたいな感じになることで有名だったりするけれど、しかしこの本を読んでみると、人一倍「映画を作るってことはなんだろう」とか、そういうことを、結構わかりやすく言語化している。結果としてそれは「何かを作るってどういうことなんだろう」ということに関して示唆することにもなっている。映画を作ることだってチーム作業なんだし。

例えば下のような一節なんてどうだろう?

それに、『堕ちた天使』を見直してみても、この映画の脚本家や演出家やカメラマンが、しょっちゅう語り合っていたことがよくわかります。もっとも、アメリカでは映画の真の演出家はつねにプロデューサーであって、ほかの連中は演奏者だったわけですが、それでもその演奏者たちはお互いに語りあっていたのです。カメラマンは演出家に向かって《こんな画面構成はおもしろくないよ》などと言ったりし、演出家の方も、そう言われてもべつに、自尊心を傷つけられたとは思わなかったのです。ところが今では、二人の演出家はお互いに語りあうということさえありません。−− p.53

映画は十二人いればつくることができます。それにまた、二人でもつくることができます。二、三人で始めておいて、何人かの人を集めればいいわけです。あるいはまた、その二、さ人がお互いに理解しあえなくなれば、ほかに映画をつくりたがっている人がいないかどうか調べればいいわけです。でもそうした場合、映画の世界の連中とは組むべきではないでしょう。なにかをつくることができるためには、ほかの場所にいる人たちと組むべきです…… −− p.208

この本に書いてあるのは、そのような巨匠で難解な映画を撮り続けたゴダールではなく、等身大の、映画を作るということについてどう考えたかという、良い意味で力の抜けたゴダールだ。

ここから伺えることは、彼は、まずそういう難解で晦渋なインテリめいた人間ではなく、むしろ、映画という現場に根ざした、インディペンデントな人間であり、映画のこと、映画を作ることを真摯に考えていた、ということだ。その点において、とても親近感が持てる本になっているし、同意できることも多いのではないだろうか。ゴダールの映画に挫折した人でも、この本を読むだけでも、「そういうことを考えたんだ」と参考に出来ることが多い。

もちろん、少人数で何かモノを作りたいという人にもオススメ。

気狂いピエロ [DVD]

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自分はこれが好きなんだけど(映像がキラキラしていて綺麗)、でもやっぱり映画としては退屈だよねって言われたらそりゃそうかもね……とも思う。俺は好きなんだよ!

『同人王』牛帝

同人王

同人王

同人王で本書は読むことが出来る。この漫画はちょっとだけ思い入れがあって、リアルタイムでずっと読んでいたという点がある。書籍版はある程度加筆されているため、Webで連載されていたときのものと若干違うが、それでも味わい深いのは間違いない。

この本は、メタ的に読むことができる。メタ的、というのはどうことかというと、作者の「牛帝氏」の漫画家としての成長物語でもあるということである。というのは、最初の頃から段々と絵がこなれていくさまを見ていけば、この本が主人公の「成長物語」であると同時に、本人の成長物語であるということも可能だ。そのようにして見ると、この作品の構造自体が、そのような入れ子構造になっていて、なんだか少し感慨深く感じることもある。どんな漫画も作者の葛藤による作成物だけど、作者の歴史がダイレクトに感じさせられる作品は、それほどはない。

ただ、自信がないことについて、一点だけあるとするなら、そのように読まないとどういう風に読めるかはわからないことにある。しかし、確かに自分にとっては勇気付けられる一冊ではある。

『燃えよペン』島本和彦氏

燃えよペン 炎尾燃シリーズ (サンデーGXコミックス)

燃えよペン 炎尾燃シリーズ (サンデーGXコミックス)

島本和彦氏といえば、最近だと『アオイホノオ』が第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞をとったりしたということで有名。この続編だと『吠えろペン』があり、また『アオイホノオ』にしてもそうなのだけれど、なぜか「謎の説得力」があり、「謎の説得力」は基本的にギャグなんだけど、ギャグにしてはすごく勇気付けられる。こういうのを多分ユーモアと呼ぶんだと思う。

まとめ

実は他にも紹介したいものはたくさんあるんだけど、まとまりがなくなってきたので、また機会があれば紹介したい。いや、まだあるんですよ。例えばTHE BLUE HERBの『未来の俺等の手の中』とか:

未来は俺等の手の中

未来は俺等の手の中

この音楽はクリエイティヴの泥臭いというか、油臭くて陰鬱な部分を歌いながら、それと同時に、そこを突き抜けたときのカタルシス、あるいは自分の作ったものが強烈な光を放つ瞬間みたいなものを、リリックの力によって解放している。俺も落ち込んでいるときによく聞いたりするけれど、今回の趣旨からはちょっとずれるので、蛇足程度に、ここに紹介しておく。

そういえば、huluで『アンヴィル』が配信されているようなので、それを見ようかと思います。それじゃ、また。