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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

>> Zanmemo

あと何かあれは 「esehara あっと じーめーる」 か @esehara まで

できるようになる

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他人にとっては些細なことでも、自分にとっては大切な経験というものが存在しているんだと思う。少なくとも、自分の場合はそうだ。

僕の場合だと、25歳の頃に何故か納豆が食べられるようになっていたことに気がついたことは、そういう体験の一つだ。元々、自分は小学生の頃は、給食に出された納豆というものを吐いてしまうくらいに、この納豆というやつが大の苦手だったのだけれども、ある時、ふと口にした納豆が案外美味しく、朝食で機会があれば食べるようにしている。

もう一つとして、実は30歳まで酒というやつがあんまり好きではなかったのだけれど(付き合いで飲める程度なので、下戸というわけではなかった)、最近になって嗜むようになった。

こういう風に、味覚が変わって、何かを食べられるようになったりするという経験は本当に不思議なものだ。そして、そういう経験のせいで、なぜか自分自身に対して「時間が経ったら案外できるようになっているものだ」というような楽観さが身につきはじめたりした。

自分にとってのプログラミングという経験もそういうもので、何時の間にかできるようになっているようなものだと思う。もともと、不安定職であった自分が、職業プログラマーとしては28歳に目指してから、その席を汚しながらも、今日に至っていて、なんとか飯を食えているのは不思議な感じだし、またRubyに関しても、勉強し始めてから3ヶ月で、最初はとっつきにくい奴だと思っていたけれど、なんとなくは書けるようにはなった。Railsについては、まだまだ混乱することが多く、迷惑をかけているところが幾つかある。最近は認知療法によるセルフヘルプも試していて、何か嫌な気持ちがあったらそれを書き留めて反芻するようにしている。この気持ちも軽減されるようになってくれれば、と思ったりしている。

技術とは何か、ということは色々と言われることがある。イノベーションとか、ユーザー価値とか、そういう単語を探せば色々あるんだと思うんだけど、そういった、いわばビジネスっぽい単語を抜きにして、僕のとりあえずの結論としては「出来るようになること、出来るようにさせること」ということにしている。これはこれでふわっとしたものではあるし、いわゆるビジネスとして回るかどうかは別問題だけど、そもそも「価値」を考えること自体が、割とふわったとしたところで、雲がつかみにくいものだと思うので、現時点ではこの程度でいいかなと思ってる。

僕自身は、割と自分のことが劣等感の強い人間で、それのせいで卑屈だったり、あるいは陰険だったりする側面があり、それについては、最近自覚的になりつつある。また事実として、30歳になっても、普通常識的にできたり、わかっていることがわからなかったり、できなかったりする。今シェアハウスに住んでいるんだけど、そういう常識がないので、本当に迷惑をかけていると思う。

そして、こういう人間の場合、「できること」よりも「できないこと」に注目しがちだったりする。それはある部分では力を発揮することもあるけれど、ただそればっかりに注目しすぎると消耗してしまうし、たぶん何も解決しないものもある。なので、できるだけ「できること」とか「できたこと」に注目しようというのが来年の抱負だ。そんなの当たり前じゃないかと素通りしていたことが如何に当たり前ではなく、それは自分にとってできたという価値があるなら、あるいはそれが他人にとってできたという価値があるなら、そういうのを素直に認められるようにしたい。

今もまだまだ出来ないことが多いけど、来年になったらまたできるようになればいいし、意外とそういう風になっている、と楽観的に捉えている。たぶん、能動的に自分が努力しなくても、誰かが出来るような画期的な方法を思いついてくれる。そういう画期的な方法が誰かが思いついてくれるという側面があるからこそ、文明というのも存在していると、僕は思っている。それがどういう動機付けであれ。

来年になれば何かできるようになっている。来年できなくても再来年になっていたらまた何かできるようになっている。それは技術的発展の端的な事実であり、また人間が生きているということもまた似たようなものだと思う。僕にとってそういうことが光だと思う。

この記事は光 Advent Calenderの為に書かれた。良きクリスマスでありますように。