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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

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ブログの書き方に関する些細なメモ書き Ver. 2014

はじめに

 諺に、下手の横好きという言葉がある。かくいう僕もそうで、自分の過去を振り返ってみると、だいたい10年くらい、何かの機会があれば文章を書いていることになる。実は、一時期は、小説家になりたいな、と思っていたこともある。

 もちろん、こういう技術的なのか、技術的ではないのか曖昧なブログの他に、小説だったり、エッセイだったり、単なるメモであったり、種類は千差万別なものを書いている。そうやって長年文章を書いていると、だいたい自分なりに「文章を書くということはどういうことか」みたいなことが固まってきたりする(逆に、そんなに文章を書いてこの程度なのか、と突っ込まれたら頭を下げるしかない)。

 なもんだから、セーブポイントとして、このブログを書くことにおいて、意識している「文書の書き方」ということをメモしておくのは悪くないと思った。俺自身は、そういう正規的な文章の構成を受けたこともなければ、文章で飯を食ったこともない。単に、自分がこういう風に書くと、自分が納得できる文章になりやすいというだけだ、ということだ。自分の納得のしやすさなので、他人が納得するかどうかは全くわからない。

 だから、この記事を読んだからといって、面白い記事や、綺麗な記事が書けるということにはならない筈だ。少なくとも、その役割を担うのには、力不足であることは否めないし、そもそもこういうことを意識してブログを書くことが楽しいことであるのか、というのもある。金を貰って書いているわけじゃないんだから、楽しんだほうが良い。自分はこういうことを考えることが好きだから、そういう風に書いている。ただそれだけの話である。

文とは、要するに「根拠」と「主張」の組み合わせである。

 実は、文章の書き方の前に、一番影響を受けた本がある。それは、『横山ロジカルリーディング講義の実況中継』という受験参考書だ。

横山ロジカル・リーディング講義の実況中継―大学入試

横山ロジカル・リーディング講義の実況中継―大学入試

 この本は、受験本としてはかなり変わっている本で、問題は「文章とはいったいどういう構成を取るものなのだろうか」というアプローチから、英語長文を解くという形になっている。残念なことに、既に絶版になっているらしく、別の本があるので、そっちを紹介しておく。

大学入試 横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本

大学入試 横山雅彦の英語長文がロジカルに読める本

 この本では、文章というものを三つの構成として捉える。「主張・背景知識・根拠」(本書では「クレーム・データ・ワラント」といっている)だ。そして、これが繰り返されることにより、文章というものが構成される、というわけだ。難しい感じに聞こえるかもしれないが、「ご飯を食べに行かないと仕事が出来ない。なぜなら朝から何も食べていない。そしてお腹がすくと仕事に集中できなくなる」といったような話し方をすることはたびたびある筈だ。

 確かに、「文章の読み方」としては、これはひとつの松葉杖としては、よく出来ているし、ブログを書くときにも気にしたいところではあるのだけど、俺の頭のキャパシティだと、これだけで大変になるので、基本的に「主張」と「根拠」という二つの構成がある、ということに乱暴にまとめている。つまり、「俺はこう思う、なぜなら、こうだからだ」という風に考えている。

 もちろん、「俺はこう思う」というのを主張したい気持ちもわかるけれども、大抵は「それはどうしてなの?」という部分がないと納得できない筈だ。だから、ある主張につき、根拠を載せるようにするに越したことは無い、と思う。

文章とは「ブロック」の集まりである

 「文章本」オタクとして、文章を読むと、たいてい「起承転結」とか、あるいは「序破急」とか、「要約・趣旨・詳細・まとめ」とか、そういうテンプレートというものがある。これらのテンプレートに共通して言えるのは、つまり文章というのは「ブロック」と、その「ブロックが持つ役割」の組み合わせによって成り立っている、ということが考えられる。「起承転結」も、要するに「A->B->C->D」といったものとして考えることが出来る、ということだ。ブロックそのものについては、文か、あるいは段落の集合として考えるといい。

 前の段落で考えたように、「ブロック」として文章を分ける目的というのは、文章全体において、その文章を成り立たせるためのパーツを設計するということにある。

 さて、ここまで考えたときに、「っていわれても、そんな無限に役割なんて……」と思う可能性はあるけれども、少なくとも僕個人としては、それほどブロックの役割が多数あるとは思えない。少なくとも、このブログの場合だと、下のような役割くらいしか考えたことがない。

  • 序文
  • 前提(たいていはなぜこの記事を書こうとしたのか)
  • 主張
  • 根拠
  • 例示
  • 感想
  • まとめ

 これらの役割は、文章によっては消えることもあるし、また追加されることもある。あるいは「序文」が二回続くこともある(「はじめのはじめに」なんて書いたりする)。これらの役割をそれぞれに担わせる単位がブロックだ。そして、自分の経験則からすると、ひとつのブロックにつき、ひとつの役割を当てはめると良いように感じる。これは経験則による。

あとは「つなぎ」の問題である

 さて、「文」と「ブロック」を用意した。しかし、これだけだとまだ文章として何かが足りない。普通、文章を書くとき、「接続詞」などで、文章同士を繋いだりする筈だ。既に、このブロックにおいてすら、「さて」と「しかし」が現れている。

 文章というのは根本的に自由なので、実は話題があちこちに飛んでもいいし、あるいは逆に一環した論調にしてもいい。どちらにしろ、なんらかの文の集まりと集まりを繋げる必要が出てくる。この「つなぎ」を意識することによって完成する。

 とはいえ、この繋ぎのパターン自体も、あまり多くはないように感じる。つなぎのパターンとしては、下のようなものが考えられる。

  • Aだ、だからBだ(AによってBが導ける)
  • Aだ、しかしBだ(AなのにBである)
  • AまたはBだ
  • AでありBだ
  • Aだ、ところでBだ

 文にしろ、ブロックにしろ、これらを繋げることによって、文章を作り上げていく。例えば、「主張」「根拠」という二つのブロックがあった場合、このつなぎは「だから」か、「しかし」になるだろう。また、「例示」「例示」の場合、「または」や「であり」というように繋ぐことが出来る。これらのつなぎがつなぎとして成立する根拠については、初歩的な論理学か、ロジカルシンキング的なものを読んだほうがいいだろう。

 あと、ちょっとしたコツとして、「ところで」の使い方として、ある主のジョークを織り交ぜるのに便利だったりする。例えば、「この記事は素晴らしい。ところで似非原はクズだし仕事が出来ない」というように、どさくさにまぎれて余計な事実を織り交ぜることが可能になる。

最後に: 「主張」と「根拠」があると、少しだけ楽になる

 「おれがかんがえたさいきょうのぶんしょうろん」というのを書いてみたのだけれど、これらについては、意識しておくと便利なシーンがたびたびあることに気がついた。例えば、俺はエンジニアだから、例えば障害報告だったり、バグがあるということを受け取ったりするさいに、「バグがあるから修正して欲しい」とだけ伝えられることがある。このときに、「しかし、これは何を元にしてバグだと判断しているのだろうか?」と悩むことがある。

 もっと細かく書けば、「根拠」にも「事実」と「経験則」があるとか、あるいは「例示」についても、比喩とかデータとかそういうのが色々言えるとは思うけれども、おれ自身がそういう細かい運用ルールを全く運用できないタイプの人間なんで、結局上記くらいのシンプルな規則に落ち着きつつある。

補論: なれないからこそテンプレートを使う

 とはいえ、俺自身もそうだけれど、結局のところ、型があったほうが便利なことが多い。つまり、「こういう構成にする」という決まりごとだ。なぜ決まりごとがあるといいのかというと、それを基準にして文章を考える道筋になるし、また構成のことよりも、文章の内容に集中することが出来る気がするからだ。実際に、自分は文章を書くときには、

  • 序文
  • 動機 or 概要
  • 例示
  • まとめ

 にする傾向が多い、気がする。

ブックガイド

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

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基礎中の基礎。言うことは無い。

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

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文章の「つなぎ」に着目するという部分については、この本が大いに参考になった。実際、論理学の基礎的な部分は知っていて損が無いことが多いように感じる。例えば、文章において

「ホニャラポッポホゲホゲ、しかし、酒は健康に良いことも知られている」

といったときに、「しかし」に着目したとき、「ホニャラポッポホゲホゲ」はきっと「酒は健康に悪い、という意味の文なのだな」ということが、なんとなくわかる。

ぎりぎり合格への論文マニュアル (平凡社新書)

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好きな本。なんか論文に関するトリビアルな書き方と同時に、「完璧」ではなくユーモラスに語ると同時に、むしろ「ギリギリ合格」っていうのは、むしろブログっぽさがあるよね、という意味では、俺は好きな本です。

文章読本さん江 (ちくま文庫)

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逆に上記から差し引きするための解毒剤。どちらかというと、いわば「名文を書くにはどうしたらいいか」みたいなことを言いたがる文豪をバッサバッサと切りまくる。「そうそう、こういうのでいいんだ」ということに満足できる。著者自体は、フェミニズム寄りの人でもあるので、そういうにおいが文章にあるという意味では、少し選ぶ本でもあるかもしれない。