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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

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俺が偏差値35だったころにやっていたもの

はじめのはじめのはじめに

 学生一般的には、いまは夏休みということなので、こういう「ゆるふわライフハック」的な記事もいいかなと思ったので、書いておく。

はじめのはじめに「勉強法」に振り回されないこと

 いまから書くことは、全てではない。

 勉強法というか、そういうメソッドは腐るほどある。

 間違ってはいけないのは、勉強というのは、まず「勉強法を選ぶ」というところから始まる、と俺は思う。

 もちろん、ここから「勉強法マニア」になってはいけない。かくいう俺もそうだったが、そういう知識ばかり増えると、「こういう勉強方法があるよ」ということを教えてまわるけど、実際の勉強は全く出来ないという、単になんか偉そうで嫌なやつになるだけだ。

 なにより、自分が「これなら出来る」という勉強方法を考え、身につけ、それによって成果を上げることは、何よりも貴方の自信になる。この記事も同じことが言えるが、自分の成功体験を持ってして、そのメソッドだけを薦めるようなものは信頼してはいけない。

 ポイントは、その勉強法を如何なるプロセスによって導きだしたのか、その方法にある。

はじめに

 俺は高校生時代に、偏差値35をたたき出したことがある。

 その結果、どうなったか。滑り止めは愚か、滑り止め以下の学校にすら受からないという惨事を迎えたことがある。

 理由は簡単だ。当時、ウルティマオンラインと呼ばれる、すごく面白いオンラインゲームにはまっていたことがあって、そればっかりやっていたからだ。その時に、みるみるうちに偏差値が落ち、「おっこれはやばいことになった」という気持ちになったりしていた。当然親には怒られた。

 フェアなことをいっておくと、偏差値35をたたき出した前は、なぜかやる気になって英語ばっかりやった結果、65くらいにいったことはあることは前もって言っておく。これは、自分は「偏差値35くらいしかなかったバガですよ」という前提で話をすすめるのもアンフェアだからだ。そういう人間の勉強方法だと思って考えて、読んでくれればうれしい。

問題その1: 「わからない」ということがわからない

 俺ももしかしたら、実は頭がいい部類に入っており、「本当に馬鹿なやつはそんなこともわからない」という突っ込みがあるかもしれない。

 俺の周辺及び、俺自身のことを考えると、そもそも「わからない」という人は、そもそも「なんでこれがわからないんだろう」という、「わからないところがわからない」という問題で引っかかることのほうが多い。確か、西原理恵子の『ぼくんち』にも、似たようなエピソードが書いてあったような気がしている。

 このような「わからないことがわからない」という感覚が、実はいわゆる「賢い人」にとってはわからなかったりする。なぜなら、彼らは既に「わからないこと」が「わかっている」からだ。だから、まず突破しなければいけないのは、「わからないのがなぜわからないのか」ということだ。

パターンその1: 暗記

 「わからないがわからない」といったときに、単純に「それが何を示しているのかよくわからない」ということだ。教師の質問の典型として、「どこがわからない」というのがあるけれども、そもそも全体がわからないから、その個別の「どこ」というのがわからない、ということが往々にしてある。

 その場合、その「わからないもの」全体を暗号的なブラックボックスとして置いてしまい、とりあえず暗記してみる、というのを実践したりしていた。

 例えば、英語の場合なんかは、英文法の意味について云々悩んでいるよりも、単純に語彙量を増やしたほうが、ある程度までわかるということがあるし、とっとと例文を覚えてしまったほうが早い場合がある。

 確かに「なぜ、そうなるのか」ということを理解したほうがいいというのは、理想としては良いのだが、「なぜ、そうなるか」ということのためにリソースを使うために、ある程度全体的な対応図を作っていたほうが、「なぜ、そうなるのか」ということに注力することができたりする。

 「わからないことがわからない」というのは、そういった暗号解読のためのキーみたいなのが見つかってない場合が多いように感じる。だから、暗号解読のキーについてある程度手に入れておくことで、負担が少なくなることは間違いない。これは、確かに「簡単に出来る○○」よりは苦行ではあるが、ある程度まで進むことが出来る。そして、ある程度、何らかのパターンに対して、これはsこういうことなのだな、というパターンがわかるようになることになって、はじめて、ある程度「どこらへんがわからないのか」ということがわかったりする。

パターンその2: 中学生からやりなおす

 中学生からやりなおす、というのは比喩なんだけど、勉強マニアとして、いろいろ過去のものを見てみると、そもそも基礎的な部分の基礎を知らないという場合が多かったりする。こういうとき、「俺は中学生じゃねーんだよ」というプライドが邪魔したりする。

 けれども、しかしそのプライドを捨てて、一からやり直してみると、そもそもその部分を理解していなかったということが多い。「わからないがわからない」といったとき、そういう「これは知っている筈だよね」という前提のもとに話を進られているから、という可能性がある。つまり、その問題が前提としていること自体について知らないということが往々にしてある。

 ちなみに、自分もプログラマとしてソケット通信周りを見ていたときに、TCPの基礎的な部分がわかっていないことに気がついて、それを勉強しなおしたりしていた。そういう風に、「知らないと恥ずかしいし、恥ずかしいけどやりなおしたくない」という、そういう思いを捨てると、前に進めることが多いことがわかったりした。

 恐らく、既に大人なのだし、それを知らないということは恥ずかしいというプライドが邪魔しているときがある。

パターンその3: 先に模範解答を見る

 「わからないことがわからない」といった場合、そもそも、何らかの問題に対して如何なるアプローチをするべきなのかわからなかったりする可能性がある。たとえば、生魚を急に渡されて「これを裁いてください」と言われたときに、その魚に対してどういう風に包丁を入れればいいのかわからないというパターンがある。そういうときは潔く模範解答を見てしまったほうが早い。

 確かに、自力で解答を得たときの快楽は何者にも代えがたいし、自分で解答を導きだしてこそ、ちゃんと自分のものに出来たということは可能であるのにしても、自分が何も手がかりが無いときには、非常に効率が悪い。だからこそ、先に模範解答を見て、とりあえず一般的にはどういう風に考えているのかを知る必要がある。

 もちろん、模範解答の見方のコツもあって、それは「この場合に、こういう解き方をするとするのはわかった。しかし、これを少し問題や解放をいじったときに、どういう風になるのだろうか」ということを崩していく。つまり、模範解答を単純な型として理解し、その型において、どういう崩すとどういう結果になるのか、ということを考えるのだ。

パターンその4: 演習する

 とはいえ、これだけだと足りない。

 少なくとも、「それにはそういうアプローチがある」ということと、「そのアプローチを使ってどうやって運用するか」というレイヤーは余りにも違うからだ。今までやってきたことは、そもそも何らかの問題に対して何のアプローチがあるのかを知らない、ということだった。当たり前だが、何らかのアプローチを覚えたとしても、それが使いこなせないということは往々にしてある。だから、今度は、実際に覚えたアプローチを、適切な場面において上手く組み合わせることができるようにする必要がある。

 そこで、とにかく演習をこなしていく必要がある。これはパターン3と併用することができる。とにかく、覚えなきゃいけないことは運用だ。だから、手を動かし、考えることによって、アプローチの使い方を覚えていく必要がある。既に、解読キーと、解読に必要な前提知識、そしてそれの例題は手に入れた。だから、今度はそれを自分なりに運用し理解することが出来る。

パターンその5: 体系的に理解する

 さて、これらのパターンで、アプローチを覚えたとしても、そもそもそのアプローチなのか、という「理由」の部分がかけている。つまり、知識がまだらであるということだ。その知識のまだらさを、お互いに関連し、またひとつの理論としてある程度統合していく必要がある。そうすることによって、アプローチに対する深い理解が出来るようになる。

 なぜ、最初にこれをやらないかというと、そもそも、何も知らない状態で、いきなり全てのアプローチを支えている理論を知ろうとすると、理解したり、覚えたりすることが莫大な量になってしまうからだし、先にある程度のアプローチを知ってから、体系的な理解に戻ってくると「ああ、あれはあのときに使うものなのだな」という風に、自分が過去に覚えたり、演習したりしたことを実例にしながら理解できるからだ。逆にいきなり「体系的に理解しよう」と身構えてしまうと、タスクが多すぎて収集がつかなくなる可能性がある。

 しかし、パターン1, 2, 3, 4 だけだと、やはり「その知識を理解しているからこそ応用できるもの」に対応出来なくなってしまう。少なくとも、目の前にあることというのは、ある程度までは何らかの形でまとめられているものが多い。それを「まだらになった知識」をつなぎ合わせることで、全体を理解できるようになるパターンもある。また「これはそういう風になっているのだから、単に覚えておけばいい」というものもわかるようになる。

パターンその6: 友達かぬいぐるみに説明する

 ここまではインプットの話だったが、自分がある程度まで「理解した!」という実感が得られたときに、アウトプットするといいと思う。もちろん、こういう風にブログを書いてもいいだろうし、そこまで言かなくても、友達を捕まえて、一から説明してもいい。また、友達があまりいないような、俺のような人間は、ぬいぐるみを利用したりする。俺の場合だと、説明を聞いてくれるのはチェブラーシカだ。

 なぜ、人に説明するのがいいかというと、そもそも座学で、一人でやっていると、たいてい無意識に誤魔化している部分であったり、説明ができないことを「そういう風になっているから」というよくわからない誤魔化しかたをすることが多いからだ。実際に、ちゃんと一貫した説明を行おうとすると、困難が生じたりする。その「困難」が生じた部分というのが、自分にとって理解できていない部分になっている可能性が高い。そこをうまく噛み砕くことによって先に進むことが可能になったりする。

 また、ぬいぐるみといったが、ノートに自分の説明で書き直すという作業をするのもいいかもしれない。とにかく、自分なりにそれを説明できるということが重要だと、俺は思う。

パターンその7: 定期的に復習する

 これは自分も実践は出来ていないけれど、やるとよいことのひとつに紹介しておく。

 人間は忘れる生き物である。そして、何かを学ぶといったときに、この「忘れる」ということとの戦いだったりする。だからこそ、ギリシアから記憶術なんていうのが研究されてきた。最近の見地だと、忘却曲線というものがある忘却曲線 - Wikipedia。効率のよい復習方法は各人覚えてもらうとして、自分なりに復習するリズムを作ることによって、過去のことを思い出すことがうまくできたりする。

パターンその8: 教科書は何周もしてナンボ

 例えば、何かの歴史などを学びなおした場合、教科書一冊を読んで満足することがある。しかし、俺もそうなんだけど、本を一冊読んだくらいでは、何も身についていないことのほうが多い。自分はどちらかというと哲学書とかを読むのも趣味でやってたりするのだが、最初は「全体を把握するため」に全体を一読し、その本の見取り図を作ったあとに、改めて読むと、すんなりと理解が定着することがある。

 この文章もそうだけれど、俺が思うに、文章というのは全体の流れによって、それが書かれることがある。良書になればなるほど、その傾向が強いのだが、それが最初のうちだとわからなかったりする。だから、まず本に対して、「この本がいったいどういう全体になっているのか」を見通すのは、とても役に立つ。

まとめ: たぶん、問題は「如何に勉強するか」ではなく「どういう勉強のスタイルを作るか」だろう

 勉強に関するライフハックというのは腐るほど存在する。例えば、本棚に行けば「東大生が実践する云々」といった本であったり、あるいは「年商○億稼げる人が実践している勉強法」みたいな本が腐るほどある。俺もそういう本はなんだかんだいって好きなのでパラパラめくったりするが、いまいち要領がつかめない。

 そういう本というのは、たいてい成功体験に基くバイアスがあり、またスタイルが固まった人の本だ。たいてい、勉強が出来なかったり、気後れしてしまう場合というのは、自分なりの勉強のスタイルというものがそもそもよくわかっていないことのほうが多い。

 だから、上の項目に関しても「パターン」とした。これらのパターンは全てではない。問題は、このようなさまざまなパターンを分解し、組み立て、そしてスタイルを作ることだ。

 僕自身が偏差値35からの受験勉強ということを通して学んで一番得たものは、「自分にとっての、向上するための勉強のスタイル」にたいして当たりが出来たことだ。これは、このようにプログラミングを勉強し、エンジニアとして働こうと決意したときにも、また数学を勉強しなおそうとして整数論や論理学を勉強するのにも役に立っていると思う。

 人生において、たぶん勉強しなくてもいいということはあまりない。そして、「勉強」という面で壁にぶち当たったとき、自分のスタイルがあるということは、きっとその壁を打ち破るのに効果があるように感じる。

 いろいろとえらそうなことを書いてしまったけれど、恐らく色々違和感がある部分も多くあると思う。もしよければ、そのときは自分なりの勉強のスタイルを教えて欲しい。これも唯一の自分のスタイルだとは思っていない。スタイルも、また変化し続けているのものだし、そういう風でありたいなと思っている。