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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

>> Zanmemo

あと何かあれは 「esehara あっと じーめーる」 か @esehara まで

It is too hard for me to 社会復帰

これはつらぽよ Advent カレンダー13日目の筈でした。

正直なことをいうと、僕の素行は余りにも良くはなかった。少なくとも、職歴は大きな穴が開いているところが幾つかあるし、やっと掴んだ職歴についても、一年続くのがやっとで、なかなか長続きすることはなかった。

経歴的に言うと、元々僕は製本工場でアルバイトを一年間ほど続けていた。何の本を製本していたのかと言えば、アルバイト雑誌とか、あるいは風俗案内用の小冊子とか、そのあたりを製本していた。もしかしたら、貴方がアルバイトを探そうと思って手に取った、無料で配布されている冊子だ。恐らくそういう類の本は、背表紙がホッチキスで止められていると思うけれども、あのホッチキスが止められる前の、裁断された紙を重ねて機械に放りこむということをやっていた。この作業は若干面白くて、紙を揃えて入れなければならないのは当然なのだが、この紙を一枚ずつ取り出すために、紙の間に空気が入っていないといけない。なものだから、空気を入れるための作業をしなければならない。なものだから、紙を揃えることだけに関しては抜群になったりした。

また、悪名高き日雇いバイトもやっていたことがある。あれもなんだかんだいって一年間続いた。他には、ピザ屋のアルバイトだ。ピザ屋のアルバイトについては、免許取り立てで面接してしまって、ドライバーであったのにも関わらず、たとえばチラシを配ったり、あるいは店内の電話対応などを行っていた。僕は周りからはどう思われていたかはわからないが、真面目にそつなくこなしていたつもりだ。事実、割とチラシの効果はあったらしく、ちゃんと注文の数は増えていた、と店長は言っていた。また、不定期に接客態度を確認するための電話もあったが、自分が担当したものに関しては、そこそこに高得点を叩き出していた筈だ。最後は、バイトの一人の子と仲良くなったりもした。あれは文化的な態度は全く違うけれども、今となってはノスタルジックな思い出でもある。

そういう風に、いろいろあった。元々、自分はクズだし、精神的には不安定なほうだし、低きに流れる人間だから、あまり偉いことは言えない。ピザ屋は正直あってなかったので、迷惑をかけることが多かったと思うし、また前の職場においても、適応障害を引き起こしてぶっ倒れることが多かった。家をなくしてホームレスをやっていたこともある。

さて、そこからエンジニアという話になるのだが、どうしてエンジニアになったのか。自分としては、下の判断が働いたのだと思う。

  • パソコンについては少なくとも毎日触っている
  • 毎日勉強することについては苦ではない(むしろ楽しいと思う)
  • 毎日プログラミングしていても苦ではない
  • 自分なりに積み重ねが出来る
  • 周囲にエンジニアが多かったのでロードマップが描きやすかった

上記の判断から、僕は二年前からエンジニアになろうと決意したが、とはいえ、この当時28歳だった。正直、俺よりセンスも努力もしている若いエンジニアを見てきたものだから、そういう人達の足を引っ張らないように、当たり前のことを当たり前に出来るようにすることだけを目標にしていた。言語はPythonだったが、僕にとって、その言語の仕様とハックのしやすさに関して、随分気に入ったように思う。そして、エディタとしてVimに慣れるよう頑張っていた。Vimのキーバインドは、今や自分の宝だ。

いろんな会社に試用期間ということでいさせてもらったが、例えばどういう風に自分がやっている作業を明確化するのか、とかあるいはプロジェクトマネージはこういう風にやっています、ということについて意外と教えてもらえないということは多かった。もちろん、自分が中途採用だったから、そういうのを「知っていて当たり前」だと思われていたのかもしれない。僕はそこで壁にぶつかり、反省し、Redmineの使い方と、チケット駆動開発をプライベートでやってみることにした。それはなかなか良かったと思う。テスト駆動の方法も、インターネットの記事を参考にしながら書いていった。この点に関しては、今でも役に立っている。

そのときに学んだことだし、今も実感しつつあることの一つとして、「人から言われたことを、ただこなしているだけでは限界がある」ということだった。例えば、ある会社にいたときは、クリティカルな部分は他のエンジニアがやり、自分は管理画面の定義をこつこつとやっていたが、それはたぶん実績として魅力的ではない。というのは、人が求めるのは(あくまでもWeb業界の話だが)、高レスポンスに耐えうるようなサイト構築だ、とわかったからだ。だから、そういうのはなんとか自分で考えて、自分で勉強するしかない。もちろん、言えばやらせてもらえたのかもしれないが、それをチャレンジして迷惑かけるほどの勇気は、自分にはなかった。

だから、多くの企業は「長い時間働く」人材を求めているのかもしれないが、そういう人材だけというのは悪手だと思う。出来ることなら残業をさせず、それ以外のところで、自分が興味をもった技術を積極的にいじれるような環境が望ましいと思う。それは本人のためでもあるし、また会社のためだと思う。

とはいえ、順調だったわけではない。次の職を探すことは苦労した。前の職は、正直、今となっては悪い印象がなく、恩だけがあるが、しかしやはり自分の気質とは合わなかった。いろいろ自分の気質とそりがあうように、職場についていろいろとやってみたけれども、そこは厳しかったように感じるし、そもそも僕自身のやりかたが的はずれだったと思う。だから、それはそれとして、違う道を歩もうということにした。

僕のスキルがそれほどすごいものではないというのは自覚している。だから、スキルの面であったり、あるいは受託開発においても客先において要件定義をしたことがない、という気質の問題からして、望んでいる人材とミスマッチであるという点については、全く僕は納得している。往々にして、「技術力あるエンジニア」というところで、それ以外のスキルで判断され、おとされることがあるからだ。求人する企業としては「技術力あるエンジニア」というのは、口当たりのいい文句なんだろう。それは大人の世界である。

また、自分の経歴もそれほど綺麗なものではないものだから、その部分で判断されることも多いと思う。例えば、とある企業にエンジニア募集というものがあり、スキルがマッチしているために、とりあえず面接していただければ、ということを送った時に、「君、ニートみたいな働き方できないけど大丈夫?」ということを送られたことがある。その件については、今では笑い話だけど、本当に煮詰まっていた一時期については、この一行は本当に応えた。もちろん、そう判断される要因はちらほらあった自分も悪いけれども、タイミングが悪かった。この一行は、今でも自分の心の奥底に刺さっている。

社会は厳しい。しかし、僕は少なくとも何かを作ったり、ユーザーが楽しいとか、笑顔になったり、あるいは自分の知らないところで自分が作ったもので遊んでいる姿は好きだった。もう潰れてしまったけど、とあるブラウザゲームを作ったときに、ニコニコ生放送で使ってくれたのを見ていたときは、本当に嬉しかったことを覚えている。たんに、何かの行動を促したり、あるいは具体的にユーザーが楽しかった、といってくれるサービスが作りたい。それは僕のゴールだ。到達できないゴールだけれども。

まだまだ社会復帰は難しい。おれはまだだめだ。技術を習得するのも辛い。しかし、エンジニアという俺の役割として、ユーザーを笑顔にするために出来ることは、技術を磨くことだ。そして、ユーザーを笑顔にした分だけ、お金が貰えればいいと思う。贅沢だけど、贅沢な目標を持つことはタダだから、そこを目指して頑張っていきたい。今は、基礎的なコンピューターサイエンスとデータ構造について理解が足りないので、Lispとかで基礎力をつけていきたい。