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または私は如何にして心配するのを止めてバグを愛するようになったか

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本を読むコツとしての「わからないところは飛ばす」

はじめに

 一時期、自分は一週間に三冊の本を消化することを目標にしていたことがあった。

 もちろん、それで本の内容を理解したとはとても言いがたいとは思うし、今はほぼやっていない。しかしそういう多読スタイルを続けていると、不思議なことに、おぼろげながらに「型」というものが出来てくる。どのようなアプローチで本に取り組むべきなのか、ということがだいたいわかってくる気になる。

 今回はその話をメモしておこうと思う。

追記

 ちょっと誤解を生みやすいみたいなので、ここで補足します。

 これから語られることは、どちらかというと「ちょっと難しい本を少しずつ砕きながら読む」という形なので、例えば小説であったり、簡単なエッセイとか、そういう本の読み方として期待するとちょっと違うという印象になるかもしれないです。

 上のような記事を期待されたかたは、恐らくがっかりすると思うので、追記しました。

最初から全部理解してやろうとすると挫折する

 「本を読む」という行為を、恐らく普通の人は「内容を理解すること」という風に考えると思う。内容を理解するということは、つまりその本の内容を使いこなせる、ということだと思うのだけれども、しかし実はこれ自体についてちょっと疑問を覚えつつある。

 高校生の頃、自分は参考書を漁ることが多かった。だけれども、殆どの参考書は余り読まれずに終わった。一応、参考書を買った最初の頃は、「買った」というモチベーションから目を通すのだけれども、余りにも律儀に線を引いたりしてたもんだから、だんだん力が無くなってきて、放り投げてしまうことが多々あった。

 恐らく、それは余りにも律儀に「本を読む」=「本を理解する」ということをやっていたからなんじゃないんだろうか。つまり一字一句間違えずに理解してやろうという動機付けだと挫折する。

「多読」という方法

 自分の場合、「ある転換」をしたから、本を読めるようになったのかなあと思う。

 その「ある転換」というのは、「本はその場で理解しなくてもよい」ということだ。

 どういうことか。これは僕たちが「理解する」という行為がどういうプロセスになっているかを考えるとわかりやすいかもしれない。

 例えば、ミステリー小説のことを考えてみよう。ミステリー小説は、最初に大きな謎が提示され、後に従って、その謎が段々と解き明かされていく、という構造を取っている。つまり、「ある時点でわからないことが、あとになるに従って、事実が段々と関係づけられ、そして謎に対して解答が与えられる」という方法を取る。

 これは恐らく「理解すること」を理解するための方法の一つに、いろんなものがネットワークとして関連付けて理解するという方法があるからだ。最初ではわからないことが、あとからネットワークを通じて、おのずとわかってくることもある。

 実際、夏目漱石は「現代勉強法」という記事の中で、英語の勉強法として「英語を修むる青年は、ある程度まで修めたら辞書を引かないでむちゃくちゃに英書をたくさんと読むがよい。少しわからない節があって、そこは飛ばして読んでいっても、どしどしと読書ていくと、ついにはわかるようになる。また、前後の関係で亀了解せられる。」といっている。

だから、とりあえず、自分は「何処に何が書かれていたか」というのをだいたいでもいいから理解するという方法がベターなのかなという気がしている。

「付箋」はスタックとして使う

 じゃあ具体的にどういう風にやるといいんだろうか、といった場合、自分は下のような感じで運用している。

 まず、飛ばしたところや、少しでも気になったところには付箋をはる。付箋を貼った上で、暇な時に読み返す。もう読み返さなくてもいいや、と思った時に付箋を剥がす、という運用をしている。下は見事に咲いた付箋の花だ。

 とにかく、付箋を貼ることによって、飛ばしたことによる罪悪感であったり、あるいは忘れるのではないかという心配が払拭される。あるいはマーカーで線を引いていってもいいと思う。とにかく、「わからなかったところ」が「わからなかった」ということがわかればいい。あとはどんどん付箋を張っていけばいい。

あとから読みかえして何らかのメモを取る

 さらに、二周目をこなしたり、先に読み進めるのが億劫になったら、一度引き換えして、付箋を付けて飛ばしたところに戻る。そして、何か思うことであったり、恐らく関連する場所に対してリンクを貼ってあげる。大きい付箋に感想を書いてもいいだろうし、あるいは直接書き込んでもいいと思う。二回目トレースするときは、今度は重層的に理解していく、という形を取る。

 本の質にもよるのだが、例えば少々専門的な内容であったりする本(つまり、3度・4度読み返されるであることを期待されている本)であるならば、書き込みや蛍光ペンで書き込みを増やしていく。ただし、ここで大切なのは、蛍光ペンと書き込みを行なうと決めたら、同時にやってはいけない。蛍光ペンで線を引くのは、メモを書く時と独立させる必要がある。

 というのは、これは同時にやっていると、簡単に情報量が膨大になってしまうからだ。この行動の大切な部分は、決してメモすることではなく、その行為を通じてそこに書かれてあることを消化するということが大切な要素になる。変な話だが、メモというよりも、読み返す口実としてやっていく、ということがとても大切なのかも知れない。

終わりに

 というわけで、自分なりの、現時点での読書スタイルを語ってみた。その場限り、一読で済ませるならばともかく、ちょっと手強そうだぞ、という本にぶち当たった場合、この方法は有効だと思う。

 とにかく、理解は遅延する。自分も、あまり頭の回転が早いほうではない。だからこそ、むしろ「理解を待つ」のではなく、「理解できることを待ちつつ、次へと進める」というスタイルになっている。たぶん、変に挫折するよりも、一読したという安心感のほうが重要なのかな、という気がする。