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さくらのVPSでrootやsudoが出来ずに顔が真っ赤になった話と、恥ずかしい駆動学習について

概要

  • 人前に何かを出したり、やったりして恥をかく
  • 恥をかくと、より記憶が鮮明になる
  • ただし、恥をかくと、「それをやりたくない」という気持ちも働くので、運用が重要
  • 欠点をなんとか「長所」にしていく運用を見つけていく

はじめに

 今日は日曜日に、自分のサービスをいじってもらう、みたいなことをやったのですが、そのときにすごいやらかしてしまったことがありました。

 何をやらかしたかというと、基本的に自分のサービスは「さくらのVPS+Ubuntu」という構成なんですね。で、それを他人にいじってもらう場合、ユーザーアカウントを発行するんですが、そのとき、Linuxのシステムは「権限」と言う考え方があって、どういうことかというと、「そのシステムの根幹部分に触れるかどうか」というのが設定できるわけです。「システムの根幹部分」というのは、Linuxユーザー全体に影響を及ぼすようなこと、という言い方をすればいいのですが、それを発行するときに、良く理解してなくて、自分自身がシステムの根幹部分をいじれなくなってしまう、という状態が発生しました。

 それで何が問題かといえば、要するにサーバー全体をいじれなくなってしまうということで、顔を真っ赤にしながら復旧していたわけです。普通、インフラをいじる人であるならば、そういうことは起こさない。さらにこの「システムの根幹部分」をいじれるユーザーとして「root」というユーザーが存在しているんですが、直接ログインできないように封じていたりしているから、「詰んだ!!」と思いながら必死で復旧していました。

作業手順

 こういうやらかし系に対処するために、メモしておくのですが、さくらVPSでこういう「ログイン出来なくて詰んだ!さらにいうなら設定できやしねえ!」という場合には、落ち着いて以下の手段を取るといいっぽいです。

  • まずUbuntuサーバー自体を再起動する
  • リモートコンソールボタンを押して、リモートコンソールを開く
  • F1当たりのボタンを連打する
  • すると、セーフティーモードで入れる画面が起動するので、落ち着いてセーフティーモードで入る
  • そのあとに、VNCコンソールを開くと、今度はどういう状態でサーバーにログインするかという選択画面が出てくるので、そのときに「network」というのを選択し、読み込み/書き込みが出来る状態にする(基本的に、セーフティモードでは、ファイルをいじるのは読み込みしか出来ない)
  • そのあとに、「rootでログイン」みたいなメニューがあるので、それでログイン
  • しくじった設定ファイルを復旧する
  • rootからログアウトし、通常モードにする

 で、これで無事復旧したのですが、やっぱり基礎的な部分というのが弱いという点で非常に弱い。自分のプライベートでも、OSとしてUbuntuを使っているのですが、単に「感覚的に」使っているところが多いし、やはりプログラミングでも今回のサービスでも「感覚的に」構築することしか出来ていないというのを実感するわけです。理論的であったり、体系的理解が無いというのは、やはり弱い。

「恥をかくこと」によって、勉強する

 そういうことをやらかした上で、「素人には無理」「雑魚っぽい」と言われながら、泣きながら復旧していたのですが、以前から人に指摘される通り、自分は「プライドが高い人間」で、なおかつそのプライドに対して能力が追いついていないという側面が大きい人間である、というのはもう認めざるを得ない。こうやってブログを書いているのも、たぶんそういう側面があるんじゃないかという気はします。その上で卑屈。自分のプライドの高さみたいなものを隠しながら、低い視線から襲いかかる、みたいなそういう感じ。

 で、「そういう自覚があるんだったらなおせばいいんじゃないか」というのは本当にそう思う一方で(なので、認知療法にも興味を持ち始めている)、しかし同時に「それほど簡単に人の気質はFixできないなあ」という弱さというのは感じるわけです。なので、もうそういう自分のマイナスは認めつつ、しかし同時にそれを駆動させて、せめて「自分が思う像」と「自分の実際の像」を一致させていくしかない。

 もう一つ、自分を遠くから見ると、本当に恥をかくという行為が嫌で、馬鹿にされていたり、そういうのが嫌で仕方ない。何処か認められたいという欲があるのも確かで、とするならば、「嫌な行為を誘発すること」を積極的にやることで、自分の能力は身につくんじゃないか、という考え方を、最近は採用しています。

 これを自分の中では、「恥ずかしい駆動型学習」と呼んで納得しています。

 具体的に言うならば、たぶんそういった「嫌なこと」ってずっと覚えている傾向にあるような気がするわけです。嫌なときにやったことのほうが、好きにやっているときよりも、記憶と言う点では覚えている。行為として続けるなら、好きということが重要なんですが、ただ何かを自覚したり、あるいは記録したときってのは、自分の傾向だと、「恥ずかしい」と感じるときだなあと。

 難しいのは、この「嫌なこと」っていうのは、どうしてもその行為と結びつきがちであるというのも一方であって、運用が難しい。だって嫌なことがあったら、「そんな嫌なことがあったらもうやりたくない」ってなる。実際自分もそうで、行為と好意みたいなのは分離しがたいのはあるんだけど、たぶんそこを堪えて「嫌な目に合いたくない」って勉強する動機付けにしたいところがあるなと。

 もし、これで本当に「すごいこと」をやっているとするならば、自分の合致する「認められたい」というゴールに達成する。ならば、どちらにしろ、何らかの利益が得られるならそっちのほうがいいのかな、と考えたりします。

まとめ

 難しいところですが「自分が欠点」だなと思うことをなんとか長所として運用していく方法というのを模索していくのは、本当に重要だなと思うし、恥をかきながら、なんとか向上心に結びつければいいな、と思う次第です。